2004.04.13

ワールド・ピース・ナウ 【そして個人的な随想】

<a href="http://give-peace-a-chance.jp/" target="_blank">WORLD PEACE NOW  もう戦争はいらない LOVE&PEACE make LIFE</a>

 ここか( ̄- ̄ )

 ( ̄- ̄ )

 ( ̄- ̄ )

   ゴシゴシ ( ; p_q) うう疲れた目には刺激的だ


 こういう活動は尊いと思うんだけども、主張している内容が「そりゃご無体な」ってことが多くてなぁ。非現実的というか。その目的を完遂するための道筋を予測できてないっつーか。

「戦争は嫌だ! 平和がいい! I want to peace!」

 そりゃ誰だって思ってます。わたしもそうです。原体験に「はだしのゲン」がありますしね。
 猪木じゃありませんが、「平和が一番」。
 だからって、その「原因」から、

「アメリカのいいなりになるな! 自衛隊帰ってこい! 憲法改正反対、平和憲法を守れ!」

 と、結論だけを求めてもそりゃ無い物ねだりみたいなもんでしょう。なんかね、地図もなしに遙か遠い目的地に行こうとしてるみたいなもんで。まず地図を用意しましょうよ。話はそれからじゃないですか。

 方程式がある。解答は分かっている。
 けれどその間を埋める公式がない。
 なんかそんな印象。解答が正しいことはこちらも見ていて分かるんだけれども、過程がどこにも書かれていないから、納得することはできない。
 カンニング? みたいな。

Continue reading "ワールド・ピース・ナウ 【そして個人的な随想】"

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2004.02.27

女子十二楽坊報道

 先日に引き続き、言葉や文章の話題で。たまにはモノ各一らしいことをしましょう('∀' )各一って何ですかMS-IMEさん。

 Weblog巡り中『<a href="http://kotonoha.main.jp/" target="_blank">ウェブログ@ことのは</a>』にて、インストゥルメント・グループの女子十二楽坊に関するエントリー、『<a href="http://kotonoha.main.jp/2004/02/27asahi-12girls.html" target="_blank">女子十二楽坊を目の敵にする朝日新聞誤報の「裏」</a>』を読んだ。それで、昨日かおとといだったか、Y!ニュースの中でその件についての報道を見かけた際、そこで使われる言葉、短い文章に違和感を感じたことを思い出した。
『女子十二楽坊』はわたしも一枚目のCDを持っているのでこういう記事になるとつい見てしまう('∀' )

 下はその画面キャプチャ。今日になってキャプチャリングしたが、所見の時からニュースが増えていないようで、紹介されている記事に変化はない。朝日その他の一般紙の名前は最初からここにはなかったように思う。
<img src="http://y3products.main.jp/images/040227_12news.jpg" border="0">
 おかげでやはり違和感を感じることを再確認できた。
 報道の詳細に関わらずこの画面の状態ですでに感じるものなので、『ウェブログ@ことのは』の記事とは論点が違うのだが、『言葉の使いみち』という意味では共通するものもある。
 ので書く。

Continue reading "女子十二楽坊報道"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.02.26

描写項目数と描写文章量の関係性

 描写の中で、文章は長ければ長いほど内包する情報量が増加する。この場合、文章量と内包する情報量は比例関係となる。
 換言すれば、「より多くの言葉を費やせば、読者に与える情報は増える」となる。
 ここでの情報は、今まさに言葉を費やしているある一つの点(描写項目)についてのものである。

 描写する項目が増加すればするほど、描写の全体像が内包する情報量が増加する。この場合、描写項目数と描写の全体像が内包する情報量は比例関係となる。
 換言すれば、「より多くの項目、要素を語れば、読者に与える情報は増える」となる。
 ここでの情報は、語ろうとする全体を構成する要素のことである。
 

Continue reading "描写項目数と描写文章量の関係性"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.02.25

“途”の途中

 先程『帰り道』という記事を書いて掲載したが、この表題を書き入れた時にふと考えた。
『途』も『みち』だよな。
 LinuxZaurusには電子辞書もカスタマイズして入れてある。デジタル広辞苑第五版で牽いてみると、
<blockquote>
 と【途】

みち。みちすじ。「帰国の―につく」「途中・前途」
</blockquote>
<blockquote>
みち【道・路・途・径】

(道の意の「ち」に接頭語「み」がついて出来た語)

人や車などが往来するための所。通行する所。道路。通路。
</blockquote>

 やはり「途」にも「道」の意味がある。
 しかし一般的にこの文字をして「道」とは使わない。同じ『みち』である「道」「路」はそのまま「道路」として馴染みがあるというのに。
 どうしてだろう。
 

Continue reading "“途”の途中"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.27

ジャンクの末路というにはあまりに

<a title="スラッシュドット ジャパン | 毎日三食マクドナルドばかり食べると..." href="http://slashdot.jp/articles/04/01/26/0838250.shtml?topic=50">スラッシュドット ジャパン | 毎日三食マクドナルドばかり食べると...</a>

 凄惨すぎる(; 'A`)\=~~~~ ますます食えなくなったな。

| | Comments (0)

2003.06.03

:この世界からセカイへ

「セカイ系」。
 自分が抱えているものと、それとは、違いがあるのだろうか?
 少し、探ってみよう。
 世界はセカイになるのか。セカイの向こう側は、こちらの世界から見晴るかすことは出来るのか。

Continue reading ":この世界からセカイへ"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.02.13

過去から未来へ続く道【キーリ―死者たちは荒野に眠る・壁井ユカコ】

 よーし(・∀・)今日わし作家らしいこと書いちゃうぞー。


 壁井ユカコ『キーリ ―死者たちは荒野に眠る―』を先日読了した。
 この作品について触れてみようかと思う。未読の方は注意されたい。

Continue reading "過去から未来へ続く道【キーリ―死者たちは荒野に眠る・壁井ユカコ】"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.02.06

ふたたび、この地での邂逅

 寒空の下へ足を踏み出し、会社を後にしたのは、仕事に一区切りがついた午後四時のことだった。わたしは大量生産品のありふれたマフラーをがっちりと首に巻き、一部は擦り切れてさえいるレザーのハーフコートで風を防ぎ、歩き出した。それでもなお、体にまつわりつこうとする冷たい風に正面から挑まれた時、「書店へ資料探しに行ってきます」と会社を出るわたしに向けられた同僚たちの視線が思い出された。
 おや、この寒い日に、ものぐさなあいつが外出など――珍しいこともあったものだ。
 声にはならなかった彼らのちょっとした驚きを否定する気にはならなかった。何故なら、――実際、外に出た今ではその決断を後悔しかけていたからだ。風の冷たさは予想以上。手袋をしていても、コートのポケットに思わず手を突っ込みたくなる。
 それでも、この外出をしないわけにはいかない。それもまた自明のことだった。
 わたしは歩いた。
 時間にすれば十分ほど。歩きながらの煙草の消費は、一本だった。ジーンズのベルトにひっかけた、寄せ木細工風の文様が描かれた携帯灰皿に吸いさしを放り入れる頃、わたしは目的地である紀伊國屋書店、新宿本店の裏側出入り口へ到着した。五段ほどの低い階段をまず昇る。ビルの入り口に灰皿があったことを横目で確認して小さく舌打ちする。手袋を脱ぎながら、わたしは二階へと向かった。
 階段から二階のフロアに出ると、そこは既に文庫コーナーの一角だ。レジから一番遠い壁の棚――ジュニア向け文庫レーベルが集められている棚は、すぐ左手にある。
 目的の一冊が、平棚に表紙を上に向けて陳列されている。
 わたしはそれを一冊手に取ってその場を後にしかけ、思い直して二歩先で振り返った。戻った平積みの山からもう一冊を取り、少し思案した挙げ句――少し離れたところで同じく平積みになっていた、裸の少女の後ろ姿が描かれた教育上あまりよろしくなさそうな表紙の文庫の山に、それを置いた。
 離れた位置で、同じその本が二つの山を為しているように見える。
 わたしはレジに向かった。
 会計を済ませて店を出る。今度は表側の、靖国通りに面した出入り口からだ。
 そこから、厚生年金会館の方角――四谷方面に向かって歩き出す。ピカデリーの前の横断歩道を横切る時、中央分離帯の植え込みで、小動物が首を巡らせ仲間を探している姿を見た気がした。足を止めて目を凝らすと、それは誰かの捨てた新聞紙が、風に揺られているだけのことだった。
 明治通りを越えて二十メートルほどの角にあるスターバックスコーヒーに、わたしは立ち寄った。ある種の本を買った時、わたしはこの店に寄っていくことにしている。
 ホットのカフェモカをトールサイズで注文し、窓に向いたカウンタ席に腰を下ろし、モカを口にするより先に、無造作にポケットに突っ込んでいた、買ったばかりの文庫を取り出す。気を利かせたのか、それともこれが店員側のマニュアルなのか、何も言わずに付けられたブックカバーを剥がし、本来の姿にしてやった文庫のページをめくる。
 開いたのはもっとも後方。あとがきだ。それから、表紙カバーの左折り込みに目を通す。著者略歴が書かれている。
 少し気の利いた言葉でもないものかと期待していたが、そこには「がんばって面白味のあることを書いてみました」と実直に宣言しているような文章があった。実に、あの人らしいと思いわたしは思わず微笑んだ。
 モカを飲み終えるまでのわずかな時間だけ、わたしはその本を読んだ。最後の三口を飲む間は、カウンタの上に、表紙を上にして置いておいた。ひょっとしたらこの間に、誰かがこの本を目に留めて、心の片隅に印象として残してくれるかもしれない。そいつがいつかこの本を買わないとは限らない。自分に対しては常に悲観的なわたしも、他人に対してはいくらでも楽観的になれる。
 彼女ならやってくれるに違いない。
 わたしは彼女の今後の健闘を祈り、最後のモカで乾杯を捧げた。
 だがそれでも、一言、彼女には言ってやらねばならないだろう。わたしはいつか、あらゆる人に「待っている」と告げた。そして彼女はやって来た。それを報告する時の彼女の表情を思い出し、わたしは寒風の待つ表へ出る。会社までの道すがらに、彼女に言うべき一言を考えていた。
 暖かな会社に戻り、少しだけ曇った眼鏡を拭いて席に着き、コンピュータの電源を投入する。パスワード入力。OS起動。メーラーの立ち上げ。新規メールを開き、彼女へ一言を送るべく、わたしはキーを叩いた。


 『ようこそ、地獄へ』

<B>第九回電撃ゲーム小説大賞 《大賞》受賞作品</B>

<H2>『キーリ ―死者たちは荒野に眠る―』</H2>

<B>著:壁井ユカコ</B>

画:田上俊介(第九回電撃ゲームイラスト大賞 《大賞》受賞者)

  ■<A HREF="http://www.mediaworks.co.jp/users_s/d_hp/new/main.html" TARGET="_blank">電撃公式</A>|<A HREF="http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3ddb3dcc92327010380c?aid=&bibid=02283042&volno=0000" TARGET="_blank">bk1</A>|<A HREF="http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31079152" TARGET="_blank">es!books</A>|<A HREF="http://books.rakuten.co.jp/aftg/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1526835
" TARGET="_blank">楽天ブックス</A>|<A HREF="http://www.boople.com/servlet/AFsearch?iis=4840222770" TARGET="_blank">boople</A>|
 
 
 
 
 
 
 この日記はフィクションです。
 ('∀' )でも本が出てるのはホントだ。買って。ねぇ買ってよ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ミステリ考~旅情編~

 昨日考えたミステリ考。つづき。

 テーマのことを考えてみる。前掲『スコッチ・ゲーム』では犯人の動機と行動様式が、基本的に作品テーマと密接に結びついている。そのため、テーマを強く打ち出すためにあの動機が選択された(作者的立場からの物言いである)という蓋然性は高いと言える。テーマを表す表側の代表者がヒロインであり、裏の代表者が犯人であると感じた。
 しっかりと打ち出したいテーマを持つがゆえに、犯人の動機設定がいささか牽強付会の印象を持ってしまうものになった、ということだろうか。つまり優先順位はテーマにあり、動機の(より一層の)自然さというものは、そのためにやや立場を弱められた、と。
 なんとなく納得しそうな考えだ。
 ――が、また疑問にぶちあたる。
 人間的なテーマの設定されたミステリ。テーマの方が、トリックや驚きよりも優先順位の高いミステリ。
 ここでやや論を急ぎ言葉を端折って――日記だからカンベン――

 一読、純文学の匂いも感じられるようなそれは、果たしてミステリか?

 そんなことを考えると木々高太郎が唱えた「探偵小説文学論」を思い出す。木々は探偵小説がその理知性論理性ゆえに「芸術」となり「文学」たり得ると提唱し実践を目指した。
 かの江戸川乱歩はこれに反対の立場を取っていた。探偵小説の理知性はすなわち遊技性であり文学的、文芸的な方向を向いていないと。
 ただし乱歩は『一人の芭蕉の問題』と題する随想の中で次のような言葉も述べている。
 『探偵小説に一人の芭蕉のいづるあらんや』
 庶民的な俳諧を一代で芸術にまで高めた松尾芭蕉のような存在が現れれば、遊技性を保ったミステリでありつつ、なお文学性を獲得した「探偵小説」を物することだろうという期待の言葉である。

 西澤氏は「一人の芭蕉」たらんと考えたのだろうか?

 ……知恵熱出そう(´・ω・`) ショボン<DIV ALIGN="right"><FONT size="1">西澤先生すみません。</FONT></DIV>

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.02.04

ミステリな一日

 Web日記作成ソフトがエラーで起動しなくなってびびった(´Д`;;)再インストールで復活よかった。出力設定とかいろいろカスタマイズしたので、html手打ちなんてもうやりたくないんよ。]


 
 今日はある意味ミステリ漬けな日だった(・∀・)

 まず、昨日から読み始めていた『<span class="write">スコッチ・ゲーム</span>』(西澤保彦|<A HREF="http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b9b188a68d8c0102fa9?aid=&bibid=02176846&volno=0000" TARGET="_blank">bk1</A>|<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043540035/249-3994088-4992340" TARGET="_blank">amazon</A>|<A HREF="http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=28387724" TARGET="_blank">es!</A>|es! だけノベルスですな)が面白くて一気に読了。もう何年も前の作品なので今更ですが。
 何かこう、得も言われぬ思いをさせられた作品でした。
 ミステリとして面白かった。愛すべきキャラクタたちにも魅せられた。その意味ではとてもマンゾク。
 しかし……
 一冊の小説として考えると、いささか戸惑いが隠せない。犯人の動機、その手管。さらには容疑者との関連性。そういった点に、小説として微妙なしこりを感じてしまった(詳細を記すとネタバレなので秘す)。
 それらは「ミステリ」として考えた場合には問題にはあまりならない。何故ならミステリはそれらをある種の「記号」、島田荘司的に言えば「本格コード」によって吸収されうる程度のことでしかないからだ。
 実際、ミステリとしての出来にはマンゾクしたのだし。
 だがそれでも――何かが残る。消化しきれない微細な異物が胃壁に張り付いているような。すでに飲み下したにもかかわらず、消化され血肉となるのを拒む存在があるのを感じる。
 おそらく、これは「この作品」が問題なのではないだろう。問題は逆にわたしの方にある。かつてミステリを純粋に楽しんでいた頃の感覚とは違う感覚を、わたしはいつの間にか備えていたのだろう。しばらく読書では謎解きミステリを離れていたので、再び謎解きものを読んだ最初の作品である本作で、この感覚を味わってしまったに違いない。
 うーん(´Д`;;)ちょっと困った感じ。

 で、そういった慨嘆とはまったく関係せず、会社の昼休みに「何を食べるか」でさんざっぱら迷った挙げ句に近辺を放浪し、ぶらりと立ち寄った古本屋で宝の山発見。
 角川文庫・黒表紙版の横溝正史がイパーイ(´∀`*)ステキすぎ。
 最近になってからも「金田一耕助ファイル」と題された新装で文庫出てますが、やはり今まで集めていたのと装丁は合わせたいので、こういう出物を待っていたのだーうははーほほーひゃー。←錯乱
 買った買った(´∀`*)『<span class="write">悪魔の百唇譜</span>』や『<span class="write">悪魔の降誕祭</span>』『<span class="write">支那扇の女</span>』といった未読のものを五冊ほど。他にもたくさん別のものを買って合計十数冊も文庫を買ってしまいますた。新刊としては手に入らなさそうなものばっかり、締めて千六百円。
 んー(´∀`)久々にたくさん買ってマンゾク。←新刊も買え

 セルフツッコミに応じたわけでもないがその後新刊書店で文庫を二冊買った。
 その内の一冊、『<span class="write">山伏地蔵坊の放浪</span>』(有栖川有栖|<A HREF="http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b9b188a68d8c0102fa9?aid=&bibid=02198195&volno=0000" TARGET="_blank">bk1</A>|<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488414044/qid=1044377321/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/249-3994088-4992340" TARGET="_blank">amazon</A>|<A HREF="http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31002770" TARGET="_blank">es!</A>)を読み始めた。帰宅してからも風呂の中で読んだ。
 ( ´∀`)ノ あっはっは。これもおもろい。 ←平和なやつ

| | Comments (0) | TrackBack (0)